1110477531 やはりマスコミは再犯率が高いということにしたいようだ
調査するすると言っていた警察庁が再犯率統計を公開したということで、それに関する記事を新聞紙各社が報じたようであるが、以下のリンクによれば、それらの記事にはまたも問題があるようである。またも、というのは以前にもいくつかのテレビや新聞で再犯者率と再犯率を混同されたまま報道されたということがあるから。
http://www.amaochi.com/yae_log064.html#050305
http://d.hatena.ne.jp/rna/20050304#p2
http://umetarou.sakura.ne.jp/diary/?date=20050308#p01
特にバーチャルネット思想アイドルやえ十四歳さんの所では読売新聞の記事に関して、
つまり、この記事を書いた記者は、「無意識のうちに分子と分母の内容を変えて計算をしてしまった」のではなく、意識的に悪意を持って数字を作り替えているとしか思えないのである。
とまで踏み込んで分析されている。センセーショナリズムかなんかに走ってわざわざデタラメな内容を報じているのではないか、と内心思っていただけに、興味深い。
いくつかのサイトを見て回ったけれど、この記事に関して「ふーん再犯率は高いんだ」というような事を書いている所ではやはりという表現が結構目に付くように思う。予測していたことが、事実そうだったという事になれば嬉しい、このやはりがうまく決まったときの気持ちよさ。その快感にとらわれて足をすくわれたり、それを餌に誘導されたりしないように注意していくべきだと感じた。
あとこんな事もあろうかとというのもかなり気持ちいい。予測→実現というのには一般的に快感になるのだろうかなあ。予断を持って物事にあたるというのは、厳密性から言えばよくないのだろうけれど、時間や思考力のコスト軽減にメリットがあるので、そういうように設計されてるのだろか。
予断を持つと言えば、「A新聞の書いていることは全部嘘だ(全部真実だ)」みたいな発信者依存のやりかたもあるけれど、A新聞自体に「A新聞に書いてあることは全部嘘です」と書いてあったりしたら、どうするんだろ。
や、予断よくないです。やはりとかこんな事もあろうかととか言わないようにしよう。