妖精現実史観

妖精現実によればヒトの知能を超える人工知能の登場によってコンピューター等の技術が急速に進歩し、やがてヒトの意識(ストリーム)を含めて全てが仮想世界の存在となる、現在の物理的世界(フィジクス紀)に対してメタフィジクス紀と呼ばれる時代が到来する、とされる。妖精現実における多くの記事はその未来の世界から現在を、ある歴史の1ページとして振り返ったかのような形で書かれている。
この記述スタイルは理解のためのアナロジー、現実の問題にベタに言及することで起こる摩擦の回避(ジェンダー問題とか)、物語的詩的にまとめて曖昧なオチに持ち込む等々色々と利点が考えられるが、直感的に、実感として、「これからこうなってしまうのにな」という思いが本当に、実際に、ベースとしてあるからそう書かれているように思う。現実でおこる事象とそれに右往左往する人々にたいして「あーぁ、これからこうなってしまうのにな」という"志村後ろ後ろ"的感慨のようなものを背景に感じてしまう。
著作権ネタや動画ネタや言葉遊びネタやらよりも、このスタイル自体が自分が妖精現実のファンである一番の所以だ、と思う。これは確か攻殻機動隊の連載時の煽り文句だけれども"未来を既視する"という表現がピッタリくるように思う。(あー、でも一番は数学ネタかもしれないな)
未来から見ているから、現在の問題は全部一時的な、過渡期の問題にすりかわる。だって未来では解決しちゃってるもの!はいはい過渡期過渡期ってなものです。このあたりドラえもんでもそういう部分があったかもしれない。たぶん10かそこらの頃に父親に「人類がみんな死んでしまえば環境破壊も戦争も飢餓も全ての問題は解決するんじゃない?」と聞いたことがある。回答は「それは問題の"解決"じゃない」だったと思う、確か。"ヒトにとっての"問題はヒトがいなくなれば問題ではなくなる、けれど問題がなくなるのだから解決はできなくなる。それと同様のズルさを妖精現実史観には感じる。無肉ストリームになってしまえば人間の問題、"地上の問題"には関わることができなくなる。でもそれは人間として問題を解決したわけでは無い。
しかしながら、この転倒のズルさが、自分にとっては、であるがゆえにある種のカタルシスに繋がる。現在多くのヒトが"人間として"取り組んでいる問題が"人間でなくなる"がゆえに無効になるという不条理。不条理であるのに、ヒトを苦しめる問題が無化されてしまうという不条理。不条理かつ解放という不条理に、ゾクゾクするわけだ。それは時に漫画やアニメに登場する"問題を解決するために人類を滅ぼそうとする悪役"的なカタルシスに似ている。暗いなー。
攻殻機動隊のファンである理由もたぶん同様で、「あ、そんなことしたら大変なことになるよ?<問題→解決>のレベルから外れた、想定不能な何か大変なことになるよ?それでもいいの?」ということが電脳化や義体化のガジェットによって想起されるからなんだと思う。"大変なこと"の属している"未来"はゴーストやシステムツリーの形で作品内にも存在しているから、<未来→過渡期>の視点が獲得しやすいのかもしれない。