コンピュータを使うすべての人々がプログラミングを学ぶべきだと思いますか?

「べき」として、「いつ」「どう」?
プログラミングを学ぶ、ということはつまるところライブラリや開発環境の使いこなしを学ぶこと、だと思っているのだけれど("アルゴリズム"の学びもあるけれど)、これらは陳腐化しうる。陳腐化というか、何ができるかという目的との絡みを持ちつつも、もっと楽に使える開発環境が現れてくるということ。極端なことを言えば、「自然言語ができること=プログラムができること」となる開発環境や、あるいは「人間でいること/あること=プログラムができること」となるような開発環境というものが現れたとしたら。…現れるかもしれないとしたら。
一方で、1つの環境を使いこなせれば、原理的には何でもできる、という面もある。原理的に、というのはたぶん、"アルゴリズム"な、チャーチの提唱な、話として。全ての環境は全ての目的に開かれている。
で、この両義性から「べき」性を取り出せればそれが「いつ」や「どう」を逆照射してとか、そんな感じ。
それはさておき、チャーチの提唱を超えるようなモノがぞろぞろでてきたらどうしよう。超計算可能関数。しかも\aleph_0,\aleph_1,\aleph_2,\cdotsのように延々と続く。そういう妄想。