十戒の三
どうして、主の名前をみだりに唱えてはならない、のだろう。何か脆弱性でも存在してたのか人間。
で、どうも乱用や濫用を戒めている、という解釈が多いみたい。呼ぶと恩寵があるのだけれど、飼い慣らしが生じてしまうとか。忌み名や真名と逆のような、一緒のような。あるいはリソースの保全が目的か。「神様を大切にね!」
一方で、不善を神の名の下に正当化することを戒めている、あるいはその可能性に注意を払うことを説いている、という解釈もあるようだ。
後者の方が興味深い、というのも、「それ」が神の意思であるかどうかを疑うことは、可能なのだろうか?と思うから。誰かが、神の名を騙ることを批判するとき、その批判もまた神の名を騙ったもの、ということがありうるのではないか。だとしたら……あ、だからみだりに唱えてはならない、のかも。