ブログ社会

適当にヘルプを読んでいる内に、だんだんブログの総体的な機能がわかってくる。
情報の分散蓄積、相互作用の制御への工夫が多数あると感じる。
ブログは社会を変える、と言う人がいるのもうなずける。
しかし、ブログがもたらす社会というものに、なにか不安なイメージがよぎる。
ブログは社会をよいほうに変えるだろうか。


既存のマスメディア的な情報集中とは違うが、このシステムは分散しているが故に、
別のアスペクト(具体的にどんなものかはわからない、イメージ)では、
情報集中が起こるように感じる。
これの自分にとっての感じを例えるなら、座標空間と周波数空間の関係。
単周期を描いて座標空間に分散存在する構造は、周波数空間では一点に集中した存在になる。


ブログ社会に感じる不安なイメージ。
それは、メタ構造の振舞いによる支配。
「誰かが」支配するのではなく、個人同士の相互作用によって産まれるメタ構造そのものによる支配。
国家が、企業が、民族がそうであるように、自分を含む存在は
必ずしも自分達の代表として振舞わない。
存在のレベルによって行動規則は違ってくる。
これは集団が個人によって支配されており、そうでない個人との行動規則の違いから生じる、
ということもあるだろうが、そうではなく、支配する個人が存在しない場合でも、
存在のレベルによる違いは産まれ、行動規則の衝突が起きるように感じる。


個人個人が正しい、と思う方向を望み、
その思いの相互作用の方法として正しいと思うものを選び、相互作用をしたとしても、
総体としては、相互作用の方法の正しさと衝突する正しさを基準に行動する。
そのような形の全体と部分の不和のイメージ。


書いている内に自分でも何がなんだかわからなくなっているが、
そのような曖昧な不安なイメージを感じた。