相対主義を擁護するべきか

相対主義の極北においては、基本的には自己論駁に関しての批判だけが検討されており、裏返せば相対主義が擁護されているのもそれ関連だけだ。だから相対主義ニヒリズムに行き着くとか、道徳的退廃をもたらすとかは入不二先生は全然擁護してくれない。

相対主義を擁護するようなことを言うと、「じゃあお前は相対主義者なのかよ」というツッコミが予想されて、本当の(!)相対主義者だとするとニヒリズムだとか退廃とか怠惰とか豚とか批判の雨にさらされることになる(?)。でも残念なことに、自分は「相対主義者である」というわけでもないので、割とそういうのは傍観していられる。

じゃあなぜ相対主義を擁護するか。それは面白いから。"相対主義"の一語の裏には非常に豊かな内容が隠されていて、それが「ただの矛盾」として見向きもされないのは、勿体無い。そう、こんな面白いものが知られていないなんて勿体無い!下手すると「矛盾すらできない」!お前らは相対主義のヤバさをもっと知るべきです!

だからといって、この擁護したくなる衝動のままにちまちま矛盾回避しても、それが意味があるかどうかは疑問であって…相対主義を擁護するべきか。矛盾を回避したところで現れるのはもっとキツそうな論点であり、その時点でもっとヒかれるのかもしれない。相対主義の"蒸発"まで一息に駆け抜けるのことの面白さを知るには本を読むしかないわけで…。

ところでカントのアンチノミーからの展開が分からんとです…。