矛盾は存在するか 2

http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama/20061222/1166758169
を読んで、宇宙が無矛盾であるというのを蹴って理論Aも理論Bも受け入れてしまうというのもアリかなあとふと思う。アリだというのは、その、つまり、矛盾していないという事なのだけれども。
で、宇宙に矛盾があったら、どうなるか、どうするか。
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/md/abs.html
において田崎先生が描かれる「水からの伝言」が正しかったら、という世界での物理学者達の驚きと喜びとは、また別のありようが宇宙に矛盾が発見された後の科学にはあるのではないかなと思う。
たぶん、ヒトの持っている論理や知性というのは宇宙がどのようなものであるかということの一部を受け継いでいると思う。「正しい」という事を基礎付けるものの非常な広さ深さ訳分からなさ、そのくせ「正しい」ことがやっぱり「正しい」ことの奇跡的な対応。(http://www.miyazaki-u.ac.jp/~e02702u/papers/carroll_all.html)
科学が宇宙の謎を暴いたり資源をうまく利用できたりして役に立つというのは、その宇宙の元々持っていたモノが科学の持つ論理性やなんかとうまく対応しているからなのではないか、と思う。だとして、宇宙に隠された矛盾があるのならば、その発見を受け入れた後にヒトが宇宙というのものに立ち向かう武器とするのは隠されていた矛盾に対応した知性(のようなもの)ではないか。
その運動が「科学」の名を冠し続けるかというのもそうなのだけれども、彼らが「なぜ宇宙に矛盾があるのか」という方向で謎を追うか、そしてそのことが喜び、特にセンスオブワンダーに依る喜びに繋がるかというのは結構怪しいと思う。もう、矛盾を抱え込んだ知性にとって「なぜ」は武器にならないのではないか。

でまあ、それはさておき、普通の宇宙観ならもともと矛盾が隠されていたということなのだけれど、人間宇宙論的な立場だとどーなんだろう。「コレまでの結果と矛盾しないように」観測結果が出ていたはずなのに、じゃあ、本当のところはどういうルールなのよ、とこれは結局「なぜ」のスタンスなんだけれど。

そもそも、矛盾していることと、「なんでもあり」との関係がよく分かっていないことがこういう疑問を呼んでいるのかも。…自分の疑問の全ては不勉強と論理的甘さが原因という声もするけれど。現在の数学基礎としての論理は、「有限の立場」とか言うものをとっていて、有限回のステップでたどり着けるような論証じゃないとダメだよ、ということにしているのだったと思う。じゃあ、無限回のステップだけで構成された論理世界というのはどういう構造を取るのか。止まると矛盾するので止まらない言明だけで作った論理世界っていうのは無いものか。

矛盾は存在するか。 - 無方研日記