カラオケ法理

MYUTA裁判の判決文が公開されています。
http://blogs.itmedia.co.jp/kurikiyo/files/20070528141551.pdf


カラオケ法理の元となった、クラブキャッツアイの設計したシステムは非常に単純ではあるが行為のフラグメントを利用したタイプのシステムであるように思える。行為を分割することで物理世界での行為の直截のトリガと見なされる事象を隠蔽したり、逆にトリガ以外の機能を分離することで意味消失を図ったり、またトリガを非物理的存在に埋め込んだり、あるいはトリガの存在しないシステムを考えることもできる。
カラオケ法理はこの行為のフラグメントに対処しうるものであるように思える。すなわち行為のトリガを担うモノのみならず、分割された行為に関わったモノについて_も_トリガと同様の把握を行うことで、分割された行為を行為主体のレベルで再び統合することができる。
しかしながら、今回の事例では統合された単一の行為(複製や送信可能化)の共同主体たる二者の立場によってその行為の意味が対照的に解釈されるように見える。すなわち前者においてはその行為は私的使用であって免責が得られ(明記されてはないけれど)、後者においては不特定多数への提供を目的とした行為であり権利侵害とされる、と。
行為を行為主体のレベルで統合することで行為の意味を解釈するレベルにおいてフラグメントが現れると見えるのは、元々行為が分割されていたせいなんだろうか。