論理的な人、感情的な人


非論理的に言えば、


論理は、論理と感情を区別する。
でも、感情は、感情と論理を区別しない。
しかし、「感情は、感情と論理を区別しない」という理解自体、「論理」側のもの。
そして、この論理と感情の関係の理解全体もまた、「論理」によってできている。
最初から「論理」に立っている人間は永久に「論理」の外にでることができない。そのことは「論理」自体が保証する。論理は非論理の存在を認めるし、論理的に非論理に行き着くことができないことも、認める。


論理だけが論理と感情を区別すること。
光が射す所にだけ、光と影が現れること。
何かを考えることができて初めて、何も考えていないこと、が考えられること。
無矛盾にして矛盾という、矛盾。


この「A→(A/B)」からなる再帰的な把握は一体なんなんだろう。相対主義の極北を読むまでは、全く気づくことがなかったのに、今では何を目にしても、これが呼び出されているような気がする。そんなに読み返したわけではないのに、どこか洗脳的な本だったのか。あるいは、元々そういう気質だったから感染しやすかったのか。事後的に元々そうだった、というのもどこか再帰的。


で、ネットでうろうろしていると、結構この把握に基づいた文章に出遭う。自分がそういう気質であることを差っ引いても、こういう把握をしていないとこのような文章は書けますまい、ちうのに。


いつの間にか、こういう再帰的な把握って常識的なものになっているのだろか。あ、あるいは、元々そうだったのか。