教えて絶望先生さん


2+2=4。πは3よりも大きい。相対論の枠内においてエネルギーは光速の2乗に比例する。2+2は5や3ではなく、πが7付近にあることはなく、エネルギーが光速の3乗に比例することはない。



この世は平等にできていない。
持つものと持たないもの。
才能。家柄。国籍。人種。性別。遺伝による身体的ないし精神的特徴。
悪事を為して裁かれざる者あり、何もしてないのにヒドイ目にあっちゃう人も、いる。



この世界は不平等にできている。
この世界には、選ばれたものと、選ばれなかったものがある。
生きたいと望んで、生きられなかった人。
幸せになりたいと望んで、幸せになれなかった人。
その一方で、望むことすらなく、生きている人。
気づくこともなく、幸福である人。
世界には特権的なものが存在する。
世界には差異が存在する。どうしようもなく。



しかし、その選択には、その特権には、その差異には、理由が本当にあるのだろうか?
πが十進数で3.14に始まる値を持つことに、どんな意味があるのか?
モジュラでない楕円曲線が存在しないことに、どんな訳があるのか?
世界には、理由がないのではないか。
自分達がそこにたどり着けないことを見越して、世界の根源的な理由は、空白のままおかれているのではないか。



死と、死に直面することを思う。
死に直面し、しかも死の瞬間までに時間が与えられた人間。
その人間は、その死の意味を考える。そういうことが有りうるだろうと、思う。
猶予のなかで、その人間は初めて死を、抽象的な概念ではなく、いまそこに迫る具体的な形式と機構の認識を伴って、考える。
その死はなぜ訪れるのか。
逃れるすべは本当にないのか。
その死の意味は。
なぜ、この自分が?
なぜ、この場所と時間で?
理由は?根拠は?



ある種の人は、ある種の結論にいきあたる。
無意味。
この死に理由はない。
この死に原因はない。
この死に根拠はない。
この死に必然はない。
罪も罰も、赦しも解放もなく。
贖いでも贄でもない。
この死に、自分が死ななければならないことに、意味はない。



個人の死に、意味はない。
誰が死のうと、そのことに意味はない。
だったら、