煙草が苦手

禁煙のための方法論はちまたにあふれている。しかも禁煙をすれば健康にもいいし、経済的にも楽になる。前途洋々。道は開かれているのだから。

しかし、煙草が苦手な人にとって、道は閉ざされている。

そもそも煙草が苦手、ということはどういうことか。自分で煙草を嗜むことはもちろん無い。よって、接点としては他者の吸う煙草の煙に接するというところにしかない。この煙を「苦痛に感じる」という点が共有できさえすれば誰でも「煙草が苦手」属性のメンバーだ。

「苦痛に感じ」さえすればいいのであるから、具体的な健康への影響は関係ない。ニコチン中毒者の肉体が過敏にその欠乏に対して反応するように、煙草の煙のにおいに対して精神が反応するようになっていると考えれば、煙草が苦手であるということもまた、ある意味での病理と言えるのかもしれない。

「煙草が苦手」であることを上手に克服することは難しい。耐性を得ようと普通に煙草を嗜んでみたとしても、これはしこたま健康に悪いし、何より目的はニコチン中毒者になることではなく、「煙草が苦手」ではなくなることだ。