no life within music

母親待ちの女の子がコンビニの前で自転車のベルを鳴らしている。手で覆ったミュートを入れる。ジ、リリン、ジ、ジ、リリン。音楽でも人生でもないよ。


最近、音楽を聞かなすぎるせいか、自分の口笛や鼻歌ですら感動できるようになってきた。自家中毒か。歌はケトンかアセトンか。でも、出てくるのはスケール練習を繋ぎ合わせたようなものばかりなのだけれども。あと、FF4とかクロノトリガーとか、サンサーンスとかプーランクとか、もどき。

昔から指で机や床をコツコツやる癖がある。誰に咎められたというわけでもなかったと思うのだけれど、いつの間にか人前ではやらなくなった。人差し指のツメから始まって、その高音に対して薬指の腹で打つ低音がシンコペーションで入って、逆の人差し指が2小節に一度slap。2回フィルインしたあたりで、元のリズムが掴めなくなって、ぐだぐだになって、止める。

リズムキープがダメすぎるせいなのか、器楽をやっている人の中で、ピアニストの次に尊敬してしまうのは、パーカッショニスト

フリでリズムを取ろうとするなと言われたことがある。振り子だとか筋肉だとかの作る物理的なリズムに頼るなと。よく聴いて、自分の中にリズムをつくれと。曰く、体を揺らしたり、足踏みをしたりするのは、同期のためのシグナルでしかなくて、内的には自立したリズムに従っているのだとか。正しいのかは、知らない(ってどういう意味だか)。

自分にしか、自分の内面でしか、内側からしか見えない聞こえない知ることのできないものがあるとして、それが、内側から見えなくなることがあるのだとしたら、それはどういう意味があるのだろう。あるいは、それが内側から見えなくなったことを外部に伝えることに。


それから、女の子は、出てきた母親に窘められていたようだった。うるさいからやめなさい。