分離と統合

MYUTA事件の判決文を読み返していたら、誤読していたことに気が付く。行為の主体は運営側であって、ユーザーではない、ということだった。ユーザーは運営側に言われるままトリガーを引いただけって、それじゃまったく逆の形に行為のフラグメントを見ているわけなのか!

カラオケ法理が行為の統合ではなく逆側にフラグメントを切り直すものなのだったら、これもまた悪用することができる、のかも。管理する目的や意図とは別に"客観的に見える管理性"が成立するように状況を制御すればトリガーを隠蔽しつつ、スケープゴートにまるごと管理責任を押し付けられる、とか考える。しかもカラオケ法理の適用要件はなんだかよくわからないが異常に軽く見えるし。

技術的な精度はさておき、というかそのシステムの穴がどんなものか、というのはさておき、システムを構築する側からすれば、ユーザーの操作で作業が完結するから作業主体はユーザーだし、認証系で分離してあるから不特定多数ではなく一対一での送受信であるというのは、当たり前のことだろう。だって、そうなるように作ったんだし!

そういうシステムの理屈よりも、コードとその周辺状況を解釈して得られる"管理性"の方が優先された、というのがこの判決なのだと思う。CODEは法には、勝てない(特に法廷では)。まだ見ぬコードによる統治。コードの王土。コードの統土。クルルルル。

認証で分離されているから、不特定多数じゃないよ、という管理側の主張を読んでいて、Winnyのことを思い出した。

Winnyはその開発初期に変節を遂げている。今は1つに統一されているキー空間は、かつては暗号鍵を持たないと互いに見えない多数のキー空間に分離されるはずだった。47氏含めた当時の場には、暗号鍵を知らない、ということは中継者、キャッシュ保持者がファイルの流通の当事者、主体者ではないということを担保し、中継者を保護することに繋がるだろう、という認識があったと思う。これはFreenetを当時の日本国内の状況(送信可能可権の特異性、とか)にあわせて解釈したことで把握された認識ではなかったかと。Freenet自体は正にこの暗号鍵による分離が為されていたが、これは主に匿名性の向上のためであり、上の認識に基づいたものではなかった、はずだ。

この変節については、「Winnyの技術」にも説明があるのだが、なんだかよくわからない。

開発の途中で、暗号化によるアクセス制御はファイルのフォーマットの問題であり、ファイル共有ソフトというネットワークインフラ側の問題ではないということがはっきりしてきたため、Winny 1 の開発途中でこの機能は削除し、固定的な暗号キーを使うようになっています。そして、ユーザー設定の暗号キーの代わりに導入されたのが、現在のトリップ機能です。

Winnyの技術 - はてなキーワード

よくわからないというか、開発当時の発言と食い違うように思う。と思うが、発言録はどうもちょうどそのあたりに抜けがあるような感じなので(名前入れ忘れが飛んでいる?)、未検証。


ヒトを部分に含むシステムは、解釈による攻撃を受ける可能性を生じる。それは法も、コードも同じこと。ヒトは法にもコードにも置き換えられない。まだ。

妖精現実ではヒトと妖精を区別する。ただ、自分はヒトの妖精のことを思う。旋律や形式に妖精が住むように、ヒトに住む妖精。それはミームの話とは、また別に。それから、妖精の妖精のことを思う。妖精に住む妖精。

ヒトが解釈できないものになったとき、ヒトに妖精は住むだろうか。